【第10話】「どうせ俺なんて」が口癖のEさん

Mの紹介/とある中核市の社会福祉事務所の就労支援員。今年で13年目。今まで400人以上の人の就労支援に携わっている。

Eさんは、バブル崩壊時は30代。社員食堂の調理の仕事を失くした。10年以上経験はあったが、調理師の免許は取得しなかった。リーマンショック時は40代。パチンコ店の副店長。失業。持ち金を使い果たし、うつ病になり、50歳になる前に生活保護受給者。

就労支援開始時のEさんは、主治医による稼働能力の判定は労働不可。ケースワーカーの訪問では、無言で万年布団の上で胡坐をかいていた。そんなEさんの口癖は「どうせ俺なんて」。面談で30分以上話し込むと、決まって「どうせ俺なんて」と言い、無常観を漂わせ面談を終了。月1回の支援の進捗は遅く、Eさんの心情に寄り添う面談を継続。1年目は、まったく就労する意欲を見せなかった。2年目のある時、父親の死に目に遭わせてもらえなかったとMの前で泣き崩れたこともあった。

3年目で嫌がっていた警備員の仕事に就く。現場は病院で24時間勤務。夜間の救急搬送で救急救命士の指示を受け、宿直室の医師を起こしに行くのが嫌になり、僅か2週間で退職。4年目に夜間の鉄道の保線作業員。就労開始直後に自転車で転倒。手首を骨折。2か月で退職。5年目に一番やりたかった調理の仕事にやっと就くことができた。現場は特養の食堂。3か月間安定して勤務。生活保護は就労自立廃止。その後の2年間は勤務地の特養が変わるごとに電話連絡で近況報告をしてくれた。

就労支援の仕事では焦りは禁物。支援員が諦めなければ、対象者も諦めない。最初の就労までに3年を費やし、就労自立まで2年。合計5年間の年月はEさんにとって本当に必要だったのであろうか。Mよりも上位の就労支援員であれば、これほどの時間は要していない。就労支援員として未熟であることを思い知らされた事例。思い上がりかもしれないが、Eさんの貴重な人生を無駄に過ごさせた責任はMにある。